子どもを育む学校臨床力 多様性時代の生徒指導教育相談特別支援を読んだ感想

みなさんこんばんは。

 

今回は子どもを育む学校臨床力 多様性時代の生徒指導教育相談特別支援を読んだ感想です。

教育に興味があり、現代の多様化した社会において、現在の学校における役割が気になったので読むこととしました。

 

以下、書籍より引用した文章については下記のボックスで囲みます。

著者は?

角田豊氏、片山紀子氏、小松貴弘氏です。

三人とも、京都教育大学大学院連合教職実践研究科の教授です。

 

印象に残った内容は?

子供の性質を紹介し、子供の病気、不登校、いじめなどの問題についても言及しています。その中での教師の役割について書かれています。

 

異質集団での学習効果

異質集団での学習効果については、ウェップ(Webb,1989)の研究があります。それによると、異なるレベルの能力を持つ子どもを集めた異質集団では、成績が下位の子および上位の子にメリットがあると言います。同じようなレベルの能力の同質ペアは、お互いに援助が必要ないと考え、説明が生じにくいのに対して、異質ペアでは相手に理解可能なように、内容を明確化し再構成することで、自分自身が理解を深めることにつながるからです。ただし、能力が中位の子どもにとっては、異質集団はリスクがあることが示唆されており、相互作用に参加する機会が制限される問題があるとされています(松村他,2010)。

将来ぼんやりと塾を経営したいと思っています。

その中で、慶應義塾の理念の一つでもある、半学半教をなんとかして取り入れたいと考えています。

上記文章では、能力の異なる生徒が教えあることは有用であり、中位レベルの人間は有効ではないとのことです。中位レベルの人間の効率の良い勉強法を考える必要があります。

 

意見Aと意見Bがある場合の折り合いのつけ方のパターン(杉田,2013)

  1. 意見Aと意見Bの両方を満たすものを探す方法
  2. 意見Aを中心にして、意見Bのよさを加味する方法
  3. 意見Aと意見Bを合体させる方法
  4. 意見Aと意見Bを生かして新しいものをつくり出す方法
  5. それぞれの意見を縮小して、全部やってしまう方法:サラダ盛り合わせ型
  6. 優先順位をつけて妥協する方法

私個人としては、意見が対立したら自分が妥協する道を選ぶことが多いですが、こんなにも解決方法があるのは驚きました。

特に子供同士では妥協することは非常に難しいと思うので、このような解決方法があると紹介するだけでも子供達の意識は変わりそうです。

 

ディスレクシア(読字障がい、読み書き障がい)

ディスレクシア(dyslexia)は、読み書きに関してつまずきが起こる障がいで、LDの中で割合が高いと言われています。知的障がいはなく、日常会話にも支障はありませんが、文字で書かれた文章を読むとなると、スムーズに読めません。また、文字を書く際に書き間違いが起こり、鏡文字になったりします。

英語圏ではディスレクシアは人口の1割近くと言われていますが、日本語の場合は、読み方がわからなくても漢字から意味が推測できるため、ディスレクシアは他の言語に比べて顕在化しにくいと言われています。

今までディスレクシアという言葉を知りませんでした。

実際にこのような人に会ったこともないので、身近にいた場合はどう対処すれば良いのでしょうか。

 

携帯電話の学校への持ち込み

子どもたちの多くが、携帯電話を個別に所有する時代となりました。学校では、携帯電話の教室への持ち込み等でトラブルになることも多いようです。そこで、文部科学省は、2009年(平成21年)1月に「学校における携帯電話の取扱い等について(通知)」を出しています(表9)。

基本的には小中学校では、携帯電話は持ち込み禁止だそうです。私もこれには賛成ですね。ただ、絶対にこっそり持ち込んでいる生徒がいると思うので、休み時間などに使わせない工夫が必要に感じます。

今から15年までほどですが、私の高校では、先生の前で携帯電話を使ったら没収でした。

私は、先生がいなくなった後に、友達から「雪が降りそうだから調べてくれ」と言われ携帯で調べていたら先生が戻ってきて取り上げられました。その後、1ヶ月没収だったのが辛かったですね(先生が返すのを忘れていた)。

私の時代は先生個人によるところが大きかったようですが、今の時代はきちんと規定を定めて欲しいと思います(基本的には定まっているとは思いますが)。

 

社会に影響を与えたいじめ事件

  1. 鹿川裕史君事件(1986年)
  2. 大河内清輝君事件(1994年)
  3. 福岡県筑前町いじめ自殺事件(2006年)
  4. 滋賀県大津市いじめ自殺事件(2011年)

社会に大きな影響を与えた事件が上記4事件となります。

私は今まで自殺しようとしたことが生涯で2回ありますが、その内の一つがいじめです。

 

小学校3年生の1年間は休みました。今振り返っても級友はみな悪ふざけと言うでしょう。

内容は、椅子や机で殴られる、気持ち悪いと言われる、菌が移ると言われるなど、悪ふざけで済まされる内容ではあります。その中で僕をいじめていたT中君が女子に人気があったので、T中君を好きな女子が中心になって「気持ち悪い」と言われたのが一番つらかったですね。

 

ただいじめは、絶対になくならないと思います。断言できます。

なぜなら大人でもいじめはあるからです。

有名なさかなクンの言葉を引用します(朝日新聞DIGITALより引用)。

中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。(朝日新聞2006年12月2日掲載)

私もこの内容には納得です。

狭い社会にいると、そのストレスを解消するために、他人を悪物にし、自分の派閥を形成します。

そんなつまらないことよりも、広い世界に出るのが良いと思います。

 

人をいじめるとき

人間は、自分の心が満たされないときに人をいじめてみたい心が生じやすくなります。人はか弱いもので、自分が満足できない状態にあると、周りにいる者にそのエネルギーを負の形で向けたくなるのです。無意識のうちに擬似快感を求めているのでしょう。擬似快感とは、真の快感ではなく、自分をごまかして一時的に満足感を得る感覚のことです。人は皆、自分の存在を確認したいと思い、自己肯定感を得たいと願っています。自分が生きていることを確認するための快感を得たいと無意識のうちに考えているのです。しかし、夢中になれるものがなく、暇を持て余すと、真の快感を得る環境からほど遠くなり、いじめに駆られやすくなります。

夢中になれるものがないと、いじめに駆られやすいと言っています。

ただ、それ以外にも多くの要素があると思います。

最近話題になった相撲の暴力問題も、いじめが問題の根幹にあると考えています。ただ彼らは相撲という夢中になれるものがあるにもかかわらずいじめを行うので、いじめの要因は夢中になること以外にもあるかと思います。

もちろん、高校になるといじめは減るので、夢中になることの有無も一つの要因かと思います。

 

不登校のタイプ(いじめ被害を背景としたもの)

いじめによる被害を背景とした欠席の場合、第一に、それは子どもが自分の心身の安全を守るためにやむなくとっている正当な行動であることを理解する必要があります。したがって、登校を目指した働きかけではなく、いじめの問題への取り組みと、被害にあって休んでいる子どもが、そしてその保護者が、安心して登校できる環境づくりが最優先されるべきです。

これはなるほどと思いました。

私の時代は登校拒否は悪いことだということで、親にも怒られましたし、小学校の教頭も怒鳴って無理やり引きずられることもありました。

ただ、それは結局は解決になっていないので、本質を捉えることが重要だと感じました。

 

非行から立ち直るとき

非行から立ち直りやすい少年とそうでない少年との差は、どこにあるのでしょうか。少年鑑別所や少年院で、職員に尋ねてみました。すると、共通した回答は、「少年に、誰かからかわいがられた経験があるかどうか」がその岐路になるというものでした。かわいがってくれた人物は、父母に限らず祖父母でもよいですし、教師であってもよいのですが、いずれにしてもかわいがってもらった人との間に愛着(アタッチメント)がある場合は、立ち直りやすいと言うのです。

これは非常に興味深い内容です。

前回読んだ教育の本でも、アタッチメントが重要だと書かれていました。

愛を知っているのと愛を知らないのでは、非常に大きな差があり、北斗の拳に通じるものを感じました(関係ないかな・・・)。

 

感想

多様化した時代に、子供達の教育方法について述べられています。

私が学校を休んだ時から20年経ちましたが、教育理論はかなり進歩を遂げたと思います。

 

一方で、現場レベルでは浸透していないようにも感じています。

教育の研究を、現場レベルで浸透させることが、何よりも重要だと感じています。

 

教育の現場では、やる気のある教師と、やる気がない教師の差は著しいものがあります。

そういった、格差をなくす方法を考えることで、教育の一助になるのではないかと思っています。

 

何より、すべての子供が同じように質の良い教育を受けられると良いですね。

 

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