だから、論語を学ぶを読んだ感想

みなさんこんばんは。

 

今回はだから、論語を学ぶを読んだ感想です。

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最近孫子などの武経七書に興味があり、諸子百家の論語にも興味があったため読むこととしました。

 

以下、書籍より引用した文章については下記のボックスで囲みます。

著者は?

本書籍は、論語の一文を取り出し、それについて2人の先生が語るといった内容です。

対話は、渡部昇一氏と谷沢永一氏によるものです。

 

渡部昇一氏は、英語学者であり、上智大学名誉教授です。2017年4月に逝去されています。

谷沢永一氏は、関西大学名誉教授で、専門は日本近代文学です。2011年3月に逝去されています。

 

印象に残った内容は?

本当は論語の文も引用したかったのですが、長くなってしまうので割愛しました。

 

学ぶ

「本当に学ぶ」というのは、非常にたいへんなことだと思います。司馬遼太郎の言葉に、「自分にとって学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって、図書館と古本屋さえあったら、それで十分であった」という述懐があります。司馬遼太郎方式で勉強すれば、それは自分が欲し、自分が掴みとった内発的なものですから、すべて自分の栄養になります。

これは最近になって私も実感できました。

今までの学習、特に日本では平均的な学力の人間が好まれます。言い換えると特徴がない人間の方が好まれます。そのような人間をつくるためには、興味のないことも、興味があることも同じぐらいしなくてはなりません。

ただ、本当に学びたいという気持ちがあれば、それは今までの学習と一線を画すものとなります。自分から学ぶということが大事なのです。

 

批評

また「これだけは許せない」という人間に対して、はっきり排除する、あるいは憎む、あるいは批判する、あるいは面を冒して忠告するというように、何らかの手を打つことを一切しない人間は、社会生活から逃避しているのです。これは責任をとらない生き方をしているのであり、やはり信用できません。

谷沢氏は、持論として八方美人が信用できないといいます。

これにはドキッとしました。私は事なかれ主義なので、なるべく無難に生きてきました。批判するような対象の人間がいても、知らず存ぜずで、軋轢が生じないようにしていました。

しかし、谷沢氏も孔子も似たようなことを言っているので、これは私も生き方を改める必要がありそうです。

ちなみに私はこのブログ内で、書籍について批判はしないようにするつもりです。というのも、Amazonの評価などを見ると、中身も吟味せずに批判する人間がいます。結局は読み手次第なこともあるので、いかに駄作と感じても良い部分を抽出できるかが人間の器というものだと思います。

ただ、この考えも本書籍を読むことで、変えた方が良いものかどうか悩むところです。

 

自信

というのは、復員後、福田五段という碁打ちの話を何かで読んだ。同五段も私と同じ頃、フィリピン派遣軍に召集されたが、『私は碁打ち、碁以外に才能がない。天が私を碁打ちとして必要と思うなら私は死ぬことはない。死ぬなら私にそれだけの価値がないということで、私は元来世に不要な人間なのだ』と超然として出征したという。私は深く恥じた。

これは私も同じように生きているので共感できました。

今までの人生で、いじめなどにより2回死ぬことを考えましたが、この世に必要がなかったら死ぬことになるかと思います。

つまり生きているなら、なんらかのやることがこの世の中に残っています。常にこのことを頭に入れ、死ぬまで生きたいと思います。

 

モラル

昔から「二人旅はしても三人旅はするな」という教えがありますが、これは三人で旅をすると、二対一になって人間関係が壊れるという警告です。どうして二対一になるのか。それは単に親近感の問題だけではなくて、支配欲が大きくかかわってきます。

たとえば、A、B、Cの三人で旅をしているとき、AとBがくっついてCがはずれたとしましょう。

これはAとBの友人関係が緊密になり、Cが仲間外れになったというのではなく、たいがいはAがBを自分の子分にしているんです。そして、Aは支配できないCを自分の力の及ばざるものとして放棄する。これが「二対一の関係」の実態です。

このような関係について考えたことはありませんでした。

今度3人組になったときは、観察して、このような力関係が発生するか見てみたいと思います。

 

好学

そこらの大学でみかけるタイプとして、よく勉強しているけれども、自分の思い込みに合う材料だけを集める人がいます。それでは十年やっていても同じ結論しか出てこないし、自己満足が増大するだけです。

わかっていること、知っていることだけで考えても得ることはない。結局、人間の考え方は材料次第で左右されるのです。だからこそ、できあがっている自分の思考構造に衝突する質の違う材料が問題だと思います。

私もブログを書いている人間なので、言いたいことはわかります。

特にブログは制約なく自由なことを書けるので、自分の意見主体になります。反対意見があろうものなら、それは自分を支援するものではないということで、揉み消すこともできます。しかし、それだけでは得ることはないと谷沢氏は説きます。

本を読むときでも、自分と違う意見の本は読んでて苦しくなることがあります。しかしそういった意見こそが重要なので、そのような本を読む心構えを大事にしたいですね。

 

博打

もちろん、孔子は博打をどんどんやれと推奨したわけではありません。もちろん、賭博が褒めたものではないということは、孔子も百も承知です。しかし、それよりもっと悪いのは飽食無為であり、飽食無為に比べれば、道徳的にはいかがなものかと思われるけども、賭博のほうがましだという相対論で考えている。

そこには、絶対的に賭博がよろしくないというような固定概念がありません。孔子という人は非常にフレキシブルなんです。

何もしないのだったら博打をした方が良いという、中々珍しい主張をしているのが孔子です。

ただ、これは一つ納得できることがありました。ゲームセンターにいると、主婦や老人が、メダルゲームで時間を潰しているのをよくみます。それを見ると図書館で本を読めばいいのにと思いますが、これもメダルゲームをしないのであれば、何もしなくなってしまうということでしょうか。となれば、メダルゲームでも何もしないよりは良いということになります。

これは確かに一つ納得できるような気もしました。

 

感想

本書籍では、渡辺先生と谷沢先生が論語について意見を述べています。

面白いのが、高齢の二人がこちらの対談をしている(2000年に出版された書籍を改題)ので、妙に説得力があります。

 

単純に論語を読むよりは、実体験を伴っているので、頭の中に入りやすかったです。

論語と言っても平易に書かれて読みやすい書籍はあまり見かけないので、一つ違った角度から論語を読み解く書籍としては面白いと思いました。

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