藤子・F・不二雄 「ドラえもん」はこうして生まれたを読んだ感想

みなさんこんばんは。

 

今回は藤子・F・不二雄 「ドラえもん」はこうして生まれたを読んだ感想です。

 

昔から伝記系の本が好きで、興味を持ったので読むことにしました。

 

以下、書籍より引用した文章については下記のボックスで囲みます。

 

 

著者は?

著者は筑摩書房編集部です。

巻末エッセイは瀬名秀明氏が担当されています。瀬名秀明氏はSF作家、ホラー作家です。

 

印象に残った内容は?

藤子・F・不二雄氏の生涯を紹介した書籍です。幼少時代に相棒の安孫子素雄との出会いからドラえもんを思いつくまでが主に描かれています。

 

新しい漫画を作った手塚治虫

手塚は、従来のマンガの形式や構図に限界を感じ、学生時代に観たドイツ映画やフランス映画を手本に映画的手法を研究。それにより、それまでの常識を打ち破り、「ストーリーマンガ」と呼ばれる、まったく新しいマンガの世界を生み出しました。

藤子・F・不二雄氏にとっては、手塚治虫氏が目標とする漫画家でありました。最初の衝撃を受けたのが、新宝島という漫画です。

この新宝島に、石ノ森章太郎氏や赤塚不二夫氏も影響を受けたとされています。

この「ストーリーマンガ」というものは、現代の漫画でも使われる手法でしょうか。それとも現代より少し古い漫画手法なのか気になりました。

 

ペンネーム

藤本と安孫子は、高校生になって合作で描きはじめた頃からペンネームを使ってマンガの投稿をはじめていましたが、最初につけたペンネームは、その名も「手塚不二雄」でした。「手塚」は、もちろん尊敬する手塚治虫からとっており、「不二雄」は、藤本弘の「藤」と、安孫子素雄の「雄」から名付けました。

このエピソードから、2人がどれだけ手塚治虫氏に憧れていたか分かります。このあと無断で名前を使用していたので改名することになります。そのため、足塚不二雄です。少しでも足元に及びたいという意味が込められています。

その後、藤本の「藤」と安孫子の「子」から藤子・不二雄になります。1987年の解散後は、藤子・不二雄Fと名乗りますが、語呂が悪いということで、石ノ森章太郎氏の提案で藤子・F・不二雄になります。

そもそも、藤子不二雄が二人組ということもすっかり頭から抜け落ちていたので、このエピソードは非常に印象的でした。

 

削ることもいとわない

手塚は二人に、「来るべき世界」は千ページあったが、長すぎたため単行本にまとめるときに三百ページに縮めたのだと説明しました。

「千ページを三百ページに縮める!」

藤本は心底驚きました。

自分たちは、幾晩も徹夜して二人がかりでようやく三十ページを仕上げ満足していたというのに、手塚は七百ページもの原稿をボツにしたとあっさり言うのです。

これは藤子・F・不二雄氏も驚いたかもしれませんが、私も素直にすごいなと思います。

よく仕事でプレゼンをするときに、最後に1割削れと言われますが、それでも若干量が多くなってしまうかと思います。そこを7割削るというのは、一流の漫画家だと改めて思いました。

実は最近小説を書くことにハマっているので、最後に削るということを意識したいと思いました。

 

感想

印象に残った内容で引用した部分は、ほとんど手塚治虫氏が関わっていますが、それだけ藤子・F・不二雄氏に影響を与えていたんだと改めて思いました。

 

ドラえもんの作者というと、藤子・F・不二雄氏というイメージでしたが、実際は藤子不二雄であるということに驚きました。

私が生まれた時はすでに、コンビは解消されていたので、そのようなイメージになったのかと思います。

 

本書では、藤子・F・不二雄氏の幼少期からトキワ荘での生活、ドラえもんを描くまでを知ることができます。

 

トキワ荘に住み始めた当初、無理な仕事量で原稿を落としてしまうエピソードがあります。

それ以来、1年ぐらいは編集者から仕事の依頼は来なかったようです。

 

本人達は、プロの厳しさをしれて良かったとしていますが、その逆境にも耐え抜くのが、一流の漫画家には必要なのかなと思いました。

 

ドラえもんを生み出した藤子・F・不二雄氏の半生を知れる書籍で、非常に面白かったです。

途中で出てくる、UTOPIA最後の世界大戦ミノタウロスの皿など、読んでみたいと思いました。

藤子・F・不二雄
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