敗者が変えた世界史(上)(下)を読んだ感想

みなさんこんばんは。

 

今回は敗者が変えた世界史(上)-ハンニバルからクレオパトラ、ジャンヌ・ダルク-および世界史(下)-リー将軍、トロツキーからチェ・ゲバラ-を読んだ感想です。

 

歴史上の敗者に焦点をあて、その人の生い立ちや偉業について書かれています。近代で詳しく知らない、チェ・ゲバラなどについて詳しく知りたかったので読むことにしました。

 

以下、書籍より引用した文章については下記のボックスで囲みます。

著者は?

ジャン=クリストフ・ビュイッソン氏とエマニュエル・エシュト氏です。

ジャン=クリストフ・ビュイッソン氏は、「フィガロ」誌の副編集長であり、「イストリックモン・ショー」という番組の司会を担当しています。

エマニュエル・エシュト氏は、歴史研究家であり、ジャーナリストでもあります。

上巻の翻訳は、神田順子氏(序文、1-5章)と田辺希久子氏(6章)が担当しています。

下巻の翻訳は、清水珠代氏(7-8章、10章、12−13章)と村上尚子氏(9章)、濱田英作氏(11章)が担当しています。

印象に残った内容は?

扱っている歴史上の偉人としては、以下の人物になります。

上巻

  • ハンニバル
  • ウェルキンゲトリクス
  • クレオパトラ
  • ジャンヌ・ダルク
  • モクテスマ二世
  • ギーズ公アンリ一世

 

下巻

  • コンデ大公
  • フランソワ・アタナズ・シャレット
  • リー
  • トロツキー
  • 蒋介石
  • チェ・ゲバラ
  • リチャード・ニクソン

 

列聖として復活したジャンヌ・ダルク

だれからも見放され、処刑されたジャンヌは、ミシュレ[19世紀フランスの歴史家]が復活させなかったとしたら、歴史のゴミ箱に捨てられて、さらなる屈辱をなめたにちがいない。ミシュレは「フランス国民よ、つねに心にとめておくがよい。あなたたちの祖国は、一人の女性の心、彼女の愛と、彼女があなたたちのために流した血の涙から生まれた、ということを」と書いた。共和主義者で政教分離を主張していたミシュレは、反教権主義の嵐が吹き荒れていた第3共和制[1870-1940年]のフランスにおいてジャンヌ・ダルクの復権に一役かったことで、なんとジャンヌ列聖の道を拓いてしまった。彼の真の意図は、彼女を火刑に処したカトリック教会の権威を失墜させることだったのだが・・・

ジャンヌ・ダルクといえば、日本人の誰もが知っているフランスの救国の使徒ですが、近年まではそのような扱いは受けていませんでした。

歴史は勝者によって紡がれますが、その良い典型な気がします。

 

ローマへ進軍しなかったハンニバル

ただ一人、ヌミディア人騎兵隊を指揮していたマハルバルが、有利な状況を生かして敵を徹底的に討つべきだと主張し、いまから進軍すれば「五日以内にカピトリヌスの丘で祝宴を開くことができる(Die auinto victor inauit Capitolio equalabris)」と説得を試みた。ハンニバルは迷った。このとき、マハルバルの口をついて出た鋭い指摘が後世に伝わっている。「天は二物を与えず、とは真実なのですね。ハンニバル、あなたは勝つことを知っているが、勝利を活用することは知らない」

スキピオとハンニバルの戦いを描いた漫画アド・アストラで印象に残っているシーンです。

マハルバルの具申に対し、ハンニバルは攻城兵器の不足を理由にローマを攻めなかったと言われています。ただ、実際にこの具申を採用してローマに攻めていたらどうなっていたのでしょうか。やはり攻城兵器のないカルタゴは攻めきれなかったのか、それとも勢いでローマを陥落できたのか。

 

戦象の処理

突撃する象は敵をおびえさせ、圧迫し、打ちのめし、腹を切り裂いた。ただし、象は恐怖を感じると、ぐるりと半回転し、自刃に襲いかかることがあった。ハミルカルは、象使いが制御できなくなった象の暴走を止めるために、小脳部分に釘を打ち込むという方策を発見していた。

象の対処の仕方です。

これは初めて聞きました。今まで歴史の本を見てきましたが、味方陣地に反転した象はそのまま投槍で仕留めるものだと思っていました。

 

カエサルの敗北

しかし、カエサルの武運はここでつきた。ゲルゴヴィアの兵士たちが大勢で押し寄せることを懸念したカエサルは撤退を命じた。しかし、この攻撃がうまくいっていると考えて気分が高揚していたローマ軍団兵たちはガリア人さながらに規律を忘れ、自分達の最高司令官の命令を無視した。その間に、ウェルキンゲトリクスは状況を把握し、戦闘がもっとも激しい地点に自軍のエリート兵士を送り込んだ。防壁をよじ登る努力で息を切らしたローマ軍団兵たちは、ガリア兵に襲いかかれれて散り散りになって敗走した。ファビウスと、160人いた百人隊長たちのうちの46名が殺された。

ウェルキンゲトリクスの勝利の話です。

カエサルが死ぬ時以外で負けたという話は聞いたことがなかったので、この話も初めて聞きました。

 

カエサルとクレオパトラの出会い

彼女はこっそりとアレクサンドリアに戻ると、巻いた絨毯の中にすべりこんだ。もっとも忠実な腹心の一人、アポロドロスがこれを担いで贈り物としてカエサルのもとに届けた。衛兵たちはだれひとり、絨毯のなかを調べようとしなかった。アポロドロスがカエサルの目の前でこれを広げると、20歳の若い女が姿を現してクレオパトラだと名乗った・カエサルはびっくりすると同時に面白がった。驕慢な美貌、悪戯っぽい笑顔、知的で挑むような瞳。失墜した若い女王の大胆な振る舞いに魅了されたカエサルはこの夜、新たなルビコン川を超えた。

カエサルとクレオパトラの出会いについては知りませんでしたが、このような方法で接触したとは驚きです。

文中最後の「新たなルビコン川を超えたと」いう表現も面白いです。

 

フランソワ・アタナズ・シャレットの最期

独房で長いあいだ告解をした日の午後、列をなす憲兵に両側からはさまれながら、シャレットはアグリキュルトゥール(農業者)広場につれていかれた。群集は叫び、罵倒し、顔に唾を吐きかけたりした。シャレットは「ミゼレーレ」(「神よわれを憐みたまえ」の意で、旧約聖書詩編をもとに作られた歌)を歌い、気にとめる風もなかった。銃殺される壁の前まで来ると、ギベール神父は勇敢にふるまうようさとした。シャレットはにべもなく答えた。「神父様、わたしはもう何度も死をおそれず勇敢に立ち向かいました。もうこれが最後です。死に向かうこともなく死をおそれることもありません」

シャレットは目隠しを断り、ひざまずくことも拒否した。彼が頼んだとおり、彼自身が頭を下げるのを合図に、18人の銃殺執行人が発砲した。シャレットの身体が地面にずり落ちるまでに数秒かかった。群衆は一瞬彼が生き返ったのではないかと思ったが、錯覚だった。シャレットはほんとうに死んだ。33歳だった。キリストが十字架にかけられた年と同じだった。

結構歴史は好きなのですが、シャレットという人物について知りませんでした。

キリストと同じ年齢で死んだのは、何か運命を感じます。

 

南北戦争終結の場所

広い緑地に囲まれた敷地のなかに、ヴァージニアではよく見かけるコロネード式[玄関前にならんだ太い柱がポーチを形づくる]のおちついたたたずまいの家がある。1848年に建てられたその家は、ワシントンとシャーロットのちょうど中間にあるアポマトックスの町から5キロ北東に位置している。3階建てで内部は趣味よくあっさりとしつらえられている。この家の主となった食料品商のウィルマー・マクリーンは、ヴァージシア州北部の町マナサスに生まれ、1863年まで住んでいた。1861年に南北戦争の最初の大きな戦闘(ブル・ランの戦い)が起きたとき、リポン・ロッジのポトマック河畔にせり出すように建っていたマクリーンの家は、南郡のポーリガード将軍の司令部として使われていた。その台所に合衆国軍(北軍)の砲弾が落下した。49歳になっていた(戦争にくわわるには年をとりすぎていた)マクリーンは、家族のことも慎重に考え、戦禍を避けるため一家で200キロ南下して、北軍の侵攻にさらされにくいアポマトックスの地に引っ越したのだった。

しかし、1865年4月9日、彼はふたたび歴史の舞台に立たされる。二人の総司令官、グラントとリーが、合衆国と南部連合の殺戮に明けくれた戦いを集結させる会場に選んだのがマクリーンの引っ越し先の自宅だった。

南北戦争の開始と終わりは、このようなドラマがあったそうです。

この話は印象的ですね。そして、よく南軍の人も、マクリーン氏のことを覚えていましたね。

 

リーのミゼラブル

南郡の決定的敗走となったゲティスバーグの戦い(1863年7月)までは、たしかリー将軍はほとんど負け知らずだった。そのため、ヴァージニア出身ながら合衆国軍にとどまったスコット将軍は、リーを「存命中のアメリカ最高の軍師」とたたえた。その後何十年にもわたって、セオドア・ルーズヴェルト、ドワイト・アイゼンハワー、ウィンストン・チャーチルら政界の要人もくりかえしこの賛辞をリーに捧げた。兵士や兵站の圧倒的な劣勢、資金難のなかで、リーはビクトル・ユーゴーの小説の主人公たち『レ・ミゼラブル』になぞらえて『リーのミゼラブル』と名づけたおんぼろ軍団の先頭に立って、3年以上も強力な敵軍に立ち向かった。

リー将軍といえば、かなり不利な状況で戦い続けたことで有名です。

他の大統領も称賛するほどですから、そうとうな偉人だったのでしょう。逆境で諦めない気概が重要に感じます。

 

天下を統一する

だが進軍につれ、蒋は政治の陥穽に落ちこんでいった。孫文の呼号した「中国大革命」とは、どうあるべきなのか?民主主義を徹底すべきか?それとも、全人口の9割を占める農民のために、土地所有の根本的改革をもたらすべきなのか?1927年の4月から12月にかけて、蒋は、その波乱にみちた青春時代からすでにかかわりをもっていたと思われる秘密結社、青幇[チンパン、上海の運輸業と裏社会を支配した反清の秘密結社]の頭目たちの支援の下に、上海の革命派の労働者を撃破することでー犠牲者は1万人にのぼったー、その答えを出した[四・一二事件、上海クーデター]。

これは、単純にチンパンという響きが気になりました。

全く、今までチンパンという秘密結社は知りませんでしたが、言葉の響きで印象に残りました。

 

感想

敗者として名を残した偉人たちの人生についてまとめられた歴史の書籍となります。

もちろん総勢13人もいるので、全てについて書き尽せてはありませんが、それでも何を成し遂げたのか、なぜそのような生き方になったのか知ることができます。

 

普通、歴史の伝記では勝者にスポットが当てられることが多いです。

しかし、本書籍では、敗者にスポットを当てているので、非常に興味深く読めました。

 

ただ、私自身、あまり知っている人物も多くはなかったので、あらかじめ知識があればもっと楽しめたと思います。

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