みなさんこんばんは。
今回は生きがいについてを読んだ感想です。
(2004年出版)
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最近読んで良かった書籍の中で、タイトルの生きがいについてが挙げられていたため読むことにしました。
以下、書籍より引用した文章については下記のボックスで囲みます。
著者は?
著者は神谷美恵子氏です。
精神科医であり、ハンセン病患者の愛生園で医療に携わっていました。1957-1972年長島愛生園勤務。著書に生きがいについて、人間をみつめて、こころの旅、遍暦、本、そして人があります。
印象に残った内容は?
愛生園でのハンセン病患者の治療を通し、生きがいとは何か、生きがいを得ることとは何か、体型的に論説した内容になっています。
必要とされること
女性の更年期症状といわれるものは、たしかに内分泌系のバランスがくずれるためにひきおこされるものではあるが、そのきわめて多くの部分は生きがいの喪失という危機によるものと思われる。自分はこれからなんのいきるよろこびがあるだろう、なんの値打ちが、と問う彼女らの暗たんとしたまなざしには、青年たちのそれとはまたちがう切実さがよみとられるのである。
生きがいの一つには、自分が何かの役に立っているという思いがあると本書では述べています。
今まで家事をして子供を育てていた母親が、子供が独り立ちにともない役割を失うことで、女性の更年期症状がでるのではないかと予想しています。
これには納得です。この書籍が書かれた1966年では、女性の社会進出が今よりも進んでいなかったため、より女性の生きがいが子供の養育に占める割合が多かったと思われます。
価値基準
そしてこの欲求がみたされたときには、それは経験の「高揚」として感じられるはずであるが、その感じの判断は本人のみによって行われる。ゆえに
「あなたの行為が他のだれかにとって、いかに「成功」であるようにみえようとも、もしあなた自信が経験の「高揚」を感じなければ、それはあなたにとって成功ではないだろう。それゆえに時折われわれからみると成功したようにみえる人が自殺をし、世間が「偉大」であると考えている芸術家なり作曲家なり政治家なりが、人生はむなしい、といってわれわれを驚かせるのである。」
アメリカの心理学者キャントリルを引用し、生きがいの欲求を紹介しています。
最近では、女優の竹内結子さんや、俳優の三浦春馬さんが自殺した件が記憶に新しいです。私たちから見たら、彼や彼女は結果を残し、成功した部類に入ると思います。しかし、自殺しました。
これは引用文にもある通り、本人が判断することです。他の人が成功したと思っても、本人が成功と思わなければ、それには何も意味がないのです。
心理学でも有名だと思います。よくデキる女性が、なぜダメ男にハマるのかということが議論されます。
これは、デキる女性が自己肯定感が低い場合に、ダメ男にハマります。ダメ男は常に自分が上だと思っており、デキる女の人に「お前はダメだな」言います。自己肯定感の低いデキる女性は、自分のことがダメだと思っているので、ダメ男ができないと言う→自分もできないと思っている→正当に評価しているという流れで、ダメ男君にハマります。
逆に、デキる女性が自己肯定感が低い場合に、デキる人だねと褒めると、本人が思っていることと乖離が生まれるためストレスになります。
竹内結子さんや三浦春馬さんも、結局は同じパターンなのかもしれません。
変化への欲求
一般に、あるひとの生活が変化にとぼしくなると、この欲求は強く意識にのぼってくる。育児に追われている若い母親は、幼い生命の示す日々の変化と成長のめざましさに目をみはり、心をうばわれ、それを自分自身の生命の発展として体験して行くから、この上なく大きな生存充実感を味わっている。子供の病気やその他の心配ごとも、それがどうやら乗りこえられさえすれば、この充実感をなおさら大きくするのに役立つ。
先程の更年期の補足でもありますが、人間は変化を好みます。
老人が孫の相手をすることや草花を育てるのが大きな楽しみになるのは、若い生命の変化と成長が自分の中に見られるかではないかと考えています。
これにはなるほどと思います。もちろん老人だけではなく、子供もカブトムシなどの飼育を好みます。これは自分の成長よりも、他の生物の方が成長の進化が早く、自分ごととして捉えられるからでしょうか。
1つに極振りは危険
しかし、人間の生活というものは、もともといろいろな面、いろいろな要素のバランスからできているので、ひとつの生きがいにすべてをかけてしまうというような「悉無律」的な生きかたはそのバランスをくずし、生活を破壊してしまうおそれが多分にある。バルザックの『絶対の探求』はそのようなタイプの学者をみごとに描き出している。リボーのいうとおり「すべての情熱は、例外なく、死へと導きうるのである。」
これは私も体験から知っています。
昔Youtube収益だけの生活を目指しましたが、「死ね」という批判や中々うまくいかないことへのしんどさは感じました。何個か生きるための方策や逃げ道を用意したほうが、人生のバランスを取ることができると思います。
最近島耕作の漫画にハマっていますが、彼も仕事人間で家庭を失っています。世の中、何事もバランスが大切に思えます。
漢字がわからなかったので以下メモです。
悉無律:しつむりつ=生体の神経線維や筋線維などの刺激に対する反応には、起きるか起きないかの二つしかないという法則。 刺激が一定の大きさとなるまでは起こらずそれを超すと、刺激の大きさに無関係に同量の反応が起きる。
つまり、0か1かの生き方はバランスを崩すということです。私の母も0か1派だったので、私もその考えでしたが、大学の指導教官に怒られました。0.5ぐらいの生き方をしたいと思います。
生きがいの分類
一 生存充実感への欲求をみたすもの。
二 変化と成長への欲求をみたすもの。
三 未来生への欲求をみたすもの。
四 反響への欲求をみたすもの。
1 共感や友情や愛の交流。
2 優越または支配によって他人から尊敬や名誉や服従をうけること。
3 服従と奉仕によって他から必要とされること。
五 自由への欲求をみたすもの。
六 自己実現への欲求をみたすもの。
七 意味への欲求をみたすもの。
筆者が分類した生きがいの欲求です。
一は自然や芸術、あそびなどが含まれます。二が学問や冒険など。三が目標や夢など。四は他人との関係です。五は一のものを含めます。六は個性的な生きがいです。七は自分の存在意義を感じられるものです。
私は二の生きがいを大切にしていきたいと思います。
苦しみ
30歳になる一患者は生存目標がないため永年なやんでおり、おそらくそのために生じたと思われる心臓発作に苦しんでいたが、ある時、膀胱炎と腎盂炎にかかって高熱を出し、二ヶ月ちかく病室で療養した。この間、肉体的苦痛はあっても、「精神的にはかえってらくです」と自らいい、心臓発作も一回もおこらなかった。ところが身体の病気が全快すると、病気以前と同じ精神状態に戻り、心臓発作もまたおこるようになった。
この症状には私自身不思議に思いました。病気になると、病気を治すという目標ができます。それに向かい心の統一とおちつきがうまれるそうです。結核をわずらった患者も、治療が成功するとどう社会に復帰していいかわからないため、同様の姿が見られたそうです。
私自身、あまり人生の目標がない時期がないため、このような精神的苦痛を感じたことがありません。私の人生の目標は教養のある人物なので、死ぬまで終わりがありません。目標は常々大事だと思いました。
定年まで働いてきた人がぽっくり死ぬことはよく聞きます。島耕作の会長も、会長職を終えた後、1ヶ月後ですぐに亡くなりました。仕事だけを目標にしてきた人は、同様に生きがいの喪失を味わうと思います。最近言われるように、定年後の生きがいは見つけておいたほうが良さそうです。もし生きがいがない人は、先程の生きがいの分類を参照に見つけてみてはどうでしょうか。
価値とは
それでは具体的にどういう価値体系が新しく採用されるか、ということは次にのべる生存目標の如何によってきまってくるわけであるが、いずれの場合にせよ、価値判断のしかたをほんのちょっとずらすだけでも、ものはおどろくほどちがってみえてくる。健康なひと、外観の美しいひとが必ずしも人間として価値のある存在とはかぎらない。「教養」や「成功」や社会的地位が人間の価値をきめるものでもない。立派な夫や子を持つ夫婦が必ずしも人間として値打の高い者とはきまっていない。
非常に重要なことを言っています。驚いたのは、これを55年前に主張していたことです。今でも言われていることだと思いますが、価値は自分で決めるもので、他人が決めるものではないと思います。
もちろん価値は高いほうが良いので、偏差値は高いほうが良いですし、年収も高いほうが良いです。しかし、それ以外にも重要な価値があります。
本書でも述べられていますが、価値判断の仕方を少しずらすだけでも見えてくるものはあるでしょう。
感想
生きがいについて体系的にまとめられています。
今から55年前の1966年に書かれているのに、今に通じる内容を書いてあることが驚きでした。文章はもちろん今より古く感じるので少し読みにくくは感じましたが、50年前のものとは思えない読みやすさです。
筆者の神谷美恵子氏は、ハンセン病の治療施設愛生園で長い間働いていました。もともと、著者は生きがいに興味があったようで、あとがきやNHKのインタビューでも昔から興味があったと語っています。
本書では実例として、ハンセン病患者の手記や、シンガポールで死刑宣告を受けた青年の話などが挙げられています。
そのような人たちの苦悩を読むと、今のうのうと生きていることが申し訳なく思うと同時に、その人たちの分まで頑張って生きないとと思う気持ちになりました。
健常者だから幸せというわけではありません。逆にハンセン病だから不幸というわけでもないかと思います。
自分の中で生きがいを見つけることができれば、それは幸せだと思います。
巻末に筆者の日記が載っています。日々どう過ごしていたのか、執筆に向けて過ごした日々が目の前に浮かび上がってきました。
解説を柳田邦男氏が解説されていますが、解説もわかりやすかったです。
本書は全部で300ページ超えの大作です。私自身10%も理解できていないかもしれませんが、それでも生きることについて深く考えることができた良書だと思います。
また、著者の教養の高さを窺い知ることができました。神曲で有名なダンテなどがサラッと引用されていますが、知らない名前がいくつも出てきました。教養が高ければ、引用してきた作家の名前もわかったかなと思いました。
歳をとってから読むと、味わい深く読めそうです。