ペストの歴史を読んだ感想

みなさんこんばんは。

 

今回はペストの歴史を読んだ感想です。

ペストの歴史[本/雑誌] / 宮崎揚弘/著

 

私は歴史が好きなのですが、切っても切り離せないのがペストの蔓延です。実際にペストのついては知らなかったので、興味を覚えました。

また製薬系の研究者を目指していたので、ペストという病気について知りたかったため読みました。

 

以下、書籍より引用した文章については下記のボックスで囲みます。

著者は?

宮崎揚弘氏です。

北海道教育大学や慶應義塾大学、帝京大学で西洋史の研究をされていた方です。

 

印象に残った内容は?

日本でペストは馴染みがほとんどないので、非常に勉強になりました。

 

ペストとは

ペストの病原菌はペスト菌です。

本来はリスやネズミなどの齧歯類の体内にありますが、ネズミに広がり、それがノミを介して人間へと広がります。

ヒトからヒトへは、空気感染で広がります。

 

ペストの病態は下記の3種類あります。

  • 腺ペスト
  • 肺ペスト
  • 敗血症性ペスト

 

腺ペストはノミに刺咬された付近のリンパ節や鼠蹊部などのリンパ節が腫れ、痛みます。3日目ごろから、全身の皮膚に出血性の紫斑や膿疱が見られ、その頃が生死の転機点になります。

肺ペストは、腺ペスト発症中に菌血症から肺炎を併発してなるペストです。紫斑やリンパ節の腫れはほとんど見られませんが、血痰や喀血が生じます。最後はチアノーゼが生じ、仮死状態になります。

敗血症ペストは電撃的に発症し、40度以上の熱がでます。発症後、数時間から1日で死亡します。これは腺ペストの悪化によるもので、血液循環機能の低下が生じます。

 

腺ペストによる死亡率は比較的低く、肺ペストは高く、敗血症性ペストはほぼ100%であったとされているそうです。

 

ペストの特性

ペスト菌は置かれた環境で長時間生き残ります。

患者の唾や痰が飛び散り衣類や寝具に付着した後に時間が経過した場合、水分は蒸発しますがペスト菌は残留して5ヶ月以上生き残り続けます。

患者の使用した衣類や寝具がそのまま片付けられ、部屋の隅や箱の中に入れられれば、保湿性のある場所のため、東ヨーロッパの酷寒でも過ごすことができます。

 

ペスト菌は、湿った地中にある死体のような組織の中では、7ヶ月以上も生き続け、冷凍した動物の組織からは7年後も毒性のある菌を取り出せたそうです。

 

一方で、ペスト菌は比較的に熱に弱い特性があります。

摂氏マイナス2度から45度程度の間しか生存できません。温帯に適した病原体で、最適温は26度です。

 

ペストの世界的流行

ペストの世界流行は3度ありました。大まかに分類すると下記期間です。

第一次流行:541年~767年

第二次流行:1340年代~1840年代

第三次流行:1860年代~1950年代

 

第一次流行では、白ナイル川の源流地域、現在のウガンダ、ケニア、タンザニアもしくはアラビア半島と考えられています。

地中海沿岸、ヨーロッパ内陸部、ブリテン諸島にまで広がりました。

 

第二次流行では、ヨーロッパと北アフリカで約500年間流行しました。

原発地は諸説あり、中国、ヒマラヤ山脈の肩、雲南地方、北イラク、南ロシアなどがありますが、有力なのは中央アジアだそうです。

 

第三次流行では、原発地は中国の雲南省で発生しました。1896年にインドのボンベイへ侵攻し、流行しました。1930年までに、1200万人のインド人が亡くなりました。その後も、ヨーロッパを除く世界的流行となりましたが、WHOが1950年代に終息を宣言し、今日まで至っているとのことです。

 

ペストによって生じた成り上がり

1348年ごろのフィレンツェの秋に黒死病(ペスト)が終息したときの話です。

人々は都市に戻り始め、家の中に入って家具の具合を調べ始めた。しかし、財産があふれるほどありながらも、そこに主人のいない家が数多くあった。それを見て人々は茫然自失に陥った。間もなく財産を相続する者が姿を見せ始めた。こうして疾病前には一文無しだった者が、相続人として金持ちになった。このため疾病の前には何も所有していなかった者が金持ちになった。それらの財産は実は彼らのものではなかったようだ。こうして相続人として不適格と思われる人が、男も女も、衣服や馬に金をかけて贅沢な暮らしを始めた。

これにより、怠惰と消費が先行し、物価高、人手不足、高賃金を誘発し、農民の都市移住の一因となったと考えられるとあります。

一部の生き延びた貧民にとって晴天の霹靂だったのではないでしょうか。ただ学がない人間が成り上がると、無駄にお金を使ってしまうと言う話を、アメリカの宝くじが当たった人の話で良く聞きます。

 

鞭打ち苦行団

黒死病への不安と恐怖は他方で人の内面へ浸透し、内省をもたらした。それは自己の肉体を痛めつけてひたすら神の許しを求め、陶酔して無我の境地に達するのであった。ジャン・フロワサールの「年代記」によると、

主の年の1349年に鞭打ち苦行団が活動を始めた。まず、彼らはドイツから出てきた。彼らは公開の場で苦行を行い、鉄の釘や針を仕込んだ鞭で自分の身体を打ち、背中と肩に引っ掻き傷を負った人々であった。彼らは主の降誕と苦しみについて詠じた。規則によると、彼らはどこでも一晩しか泊まってはならなかった。彼らは多数の集団をなしてそこから出発した。こうして、彼らは諸国を股にかけて旅し、イエス・キリストが地上で過ごした年月になぞらえて、33日半のあいだ苦行を行ったのであった。

ネットフリックスで以前見た海外ドラマに海のカテドラルというドラマがありました(本も出版されています)。

スペインの大聖堂をつくるバスターシュの話ですが、その中で鞭打ち苦行団が出てきます。見た時はいまいちわかりませんでしたが、この本を見て納得です。ペストが神が与えた苦行と受け止めて、自省したのですね。ただ、最後はフィリップ6世の国内から苦行団への追放令を出したことで、唐突に消え去ったそうです。不思議なものですね。

世界的な災害が起こると、一部の熱心な信者は神の怒りだと表現することがありますが、これもその一例でしょうか。

 

ユダヤ人への迫害

不安と恐怖から、人は自分の代わりに他人を犠牲にして差し出す気になった。その典型は以前から始まっていたユダヤ人の迫害であった。~中略~

そのように行政のトップを手中に収めると、2月14日決起し、市内のユダヤ人1884人を捕らえ、改宗を迫ったのである。結局、彼らは回収に応じなかった約900人を共同墓地に掘った大穴に放り込み、焼殺した。その中には、女性も子供も含まれていた。

それが中世史上名高いストラスブールのユダヤ人虐殺事件(ホロコースト)である。改宗に応じたユダヤ人たちも命こそ助かったが、日中しか市内に残留できないなど不自由な生活を送らねばならなかった。

ペストに応じた民族への虐殺を見て、関東大震災の時に、在日朝鮮人などを殺害した話を思い出しました。大災害が起こると、他民族が気に乗じて何か悪いことをするのではないかと思うようです。

ちなみにペスト発生時は、ユダヤ人が井戸に毒をまいたことで発生したのだろうと拷問をした結果、ユダヤ人が自白し処刑されたこともあったそうです。もちろん単純に虐殺したり、火刑台送りにすることも当然あったそうです。

ユダヤ人の迫害ですが、先ほど紹介した海のカテドラルでも、主人公と仲の良いユダヤ人が処刑されます。それもあって非常に印象に残りました。

 

ペスト防疫線

1718年、皇帝カール6世は東方から侵入するペストの危険からオーストリアを守るため、軍事境界線を防疫線に変更して設置する決定をした。それから10年の準備ののち、1728年10月22日、防疫線の設置が公布された。それは長さ約1900キロに及ぶ長大な遮断線で、バルカン半島の付け根にあたるカルパチア山脈からアドリア海沿岸まで及んでいた。この防疫線は当時の公衆衛生的措置のなかではほかに類を見ないほど組織的で、帝国軍事会議がウィーンから直接指揮し、無給の農民兵を主体に、年に5ヶ月間現地に張り付けて越境者を監視させ、1799年まで10万人以上を動員していた。~中略~

しかし、隔離・封鎖は防疫に悪影響を与えるため否定的に考えられるようになり、1857年「ドナウ通行協定」が結ばれて、検疫制度が事実上廃止された。そのため、防疫線の役割も終焉を迎え、1871年に廃止された。

300年も前に組織的な防疫線があったことに驚きました。

昔と比べてコンピューターなど技術的な進歩は目覚ましいですが、組織的な面では現代に通用する十分な仕組みがあったものもあるように感じました。

 

文学

ペストは多くの文学作品を生み出した。

「デカメロン」は1348年フィレンツェを襲った黒死病を避けるため、郊外のとある丘の上の邸に避難した10人の男女が10日間に各人一話ずつ物語を披露するという筋立てになっている。合計100話が語られるが、そこでは人間の赤裸々な欲望が問題視される。

近代・現代では、19世紀にイタリアのアレッサンドロ・マンゾーニの「婚約者」(1825~27年)、アメリカのエドガー・アラン・ポーの「ペスト王」(1834年)、20世紀にイギリスのアーサー・コナン・ドイルの「ナイジェル卿」(1906年)~中略~

「ペスト王」は1665年のロンドンにおけるペスト大流行を描き、略奪に言及している。「ナイジェル卿」は1348年の黒死病に襲われた社会における不安と信頼を考察している。

デカメロンはどこかで聞いた名前だと思いましたが、ペストの病気を扱ったものと初めて知りました。

他にも、エドガー・アラン・ポーやアーサー・コナン・ドイルがペストを作品に扱っているとは全く知りませんでした。

 

美術などにも大きな影響を与えたことにより、芸術面に与えたインパクトも相当なものでしょう。それだけ世の中に多くの影響を与えたペストについて、さらに非常に興味が増しました。

 

感想

ペストの歴史では、日本と馴染みがないペストについて解説されています。

まずペストとはどういう病気だったかに始まり、各流行した地域、恐慌の中での様子、文化に与えた影響について書かれています。

 

流行の経路などについて詳細に書かれているのですが、ヨーロッパの地理についての知識がなかったため、ペスト流行の経路が非常にわかりにくかったです。読み終わった後、巻末にある地図に気が付いたので、読む際は巻末地図を見た方が良いですね。

 

個人的にはペストが文化に与えた影響が面白かったですね。

学術的に書かれているので若干読みにくい点がありました。これは特に私がペストや地域の知識について知らないことが多かったためだと思われます。

次の課題として、地理や他の国の文化などを知ると、こういった本も読みやすくなるように感じました。